学生野球で活躍していた頃、プロ野球を目指すかどうか悩んでいたが、父親(中日ドラゴンズ監督も務めたプロのウォーリー与那嶺ですよ)とバッティングセンターに行き、父親がスイングで軟球を破裂させるのを目の当たりにして、プロのスイングの鋭さに仰天して、プロを諦めるというエピソードもよいね。本物を間近で見るのって大事よね。もちろん諦めずに野球つづけてたら活躍したかもしれないけど、本物をみた上で判断するって自分自身で納得感でるよね。
その後、旧中央会計事務所(現在のPWCあらた)で英会話を教えるバイトをする。会計が面白くなり、米国の大学で会計学を学ぶ。なるほど、ここからが、我々の知っているポール与那嶺のキャリアのスタートなのね。
「サムライ会計士」「昭和のジョン万次郎」の異名を持つ竹中征夫との出会い、べリングポイントの破たん、一時的なリタイア。起伏のあるキャリアだ。
日本IBMの社長室にバットが置いてある話もいい。たまに素振りをすると、背筋が伸びて疲れもとれるそうだ。
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