2016年2月4日木曜日

ポール与那嶺氏のキャリア

日経新聞夕刊「こころの玉手箱」で日本IBM社長のポール与那嶺氏が書いているが面白い。日本にインターナショナルスクールの野球部で団野村と一緒だったことがかかれていたり、「へー」というネタが多い。

学生野球で活躍していた頃、プロ野球を目指すかどうか悩んでいたが、父親(中日ドラゴンズ監督も務めたプロのウォーリー与那嶺ですよ)とバッティングセンターに行き、父親がスイングで軟球を破裂させるのを目の当たりにして、プロのスイングの鋭さに仰天して、プロを諦めるというエピソードもよいね。本物を間近で見るのって大事よね。もちろん諦めずに野球つづけてたら活躍したかもしれないけど、本物をみた上で判断するって自分自身で納得感でるよね。

その後、旧中央会計事務所(現在のPWCあらた)で英会話を教えるバイトをする。会計が面白くなり、米国の大学で会計学を学ぶ。なるほど、ここからが、我々の知っているポール与那嶺のキャリアのスタートなのね。

「サムライ会計士」「昭和のジョン万次郎」の異名を持つ竹中征夫との出会い、べリングポイントの破たん、一時的なリタイア。起伏のあるキャリアだ。

日本IBMの社長室にバットが置いてある話もいい。たまに素振りをすると、背筋が伸びて疲れもとれるそうだ。

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